狂言師 小笠原由祠 公式サイト

野村万蔵家を母体とする 「萬狂言」 関西代表 小笠原由祠 (能楽師 和泉流狂言方)のホームページです。
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これからの活動

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『世界の仮面』研究

「仮面と神話」
●呪術的・宗教的・儀式的演戯が劇に転化
  • 宗教的な儀式の所作事の為、一定の人物表現の為に必要とされた。軈て所作事が劇に転化し登場人物が複雑化し面は分化する。
  • 仮面仮装において神と人間との間の関係は、仮面を付ければ人間が神になってしまう。人間と精霊が協力して世界の秩序を維持する社会。宗教的ではなく呪術的社会。
  • 外被の観念・脱皮と羽衣
    世界各国の羽衣伝説 羽衣を取るとただの人になってしまう。
    脱皮の神話 人間は昔蛇の様に皮を脱いで若返っていた。蛇は一代限りであった。あるとき賭けをして負けた人間は死に、蛇は皮を脱いで若返るようになった。
●日本の仮面

質量ともに世界で一番多く仮面が存在している国

  • 縄文時代
    人か祖先の顔をモデルにした土製と貝殻製仮面。他に鼻・口・耳の土製品があり、皮革・樹皮製品が存在していた。東日本中心
  • 弥生時代
    鳥をモデルにしたシャマン仮面。鳥は稲の象徴 西日本
  • 古墳時代
    人物埴輪により、顔面に彩色して仮面と同じ効果をあげていた。
●仮面以前

八重山諸島の祀り 穰の神マユンガナシ 全身クバの葉で覆い、顔を手ぬぐいで隠し、クバの笠を被り、手に杖を持つ。クバのお化け。自分を消し去る事で他者に転化しうる。

  • 隠れ面
    民族仮面にある表情の全く無いむしろ顔を隠すのが目的といった感じのぶっきらぼうに彫られた仮面は、技術の善し悪しではなく、隠れる事に意味があったからであろう。
    威力ある神の一類を「隱」オニと呼んだ。ノッペラボウな仮面は隠れ身の隱神オニカミ
  • 恥じらいの仮面
    平城津彦神社ならづひこ 父王・清男・黒男三面。式三番。翁・三番叟に相当。
    社人の先祖・田原太子は天皇の血を引きながら不幸にも業病にとりつかれ、奈良の山中に身を潜められた。長男浄人王、弟安貴王は看病につとめ、傍ら生活の為に浄人は顔に布を垂れ、安貴王は顔に墨を塗って街を徘徊し、弓矢や草花を売ったり門毎に歌舞をを演じたり、正月には祝賀の芸能を演じた。これが田原太子をかたどる父王面、浄人王の覆面姿を写した清男面、安貴王の墨塗りの黒男面になり、式三番が出来た。
    阿曇磯良の細男舞も同様。阿知女作法あちめのわざ
●仮面と芸能者

日本の神楽や民族仮面から散楽・猿楽へ

  • 古代
    阿曇氏は神功皇后への服従者、奈良坂の式三番は弓削氏名乗る土御門家配下の唱門師。
    隠れる神は身分の零落を恥じ入る態のものではなかったが、これを演じる伝承する人々の境遇が見る人に対して「恥ずかしながらこのわたし・・・」などといわざるを得ないものに変ってから仮面・覆面がもつ神の権威まで次第に衰えて恥じらいの影を面に宿すようになった。
    農耕社会の中で旅から旅の漁生活を送る海人族や、山中に閉じ込められた山人族、農民であっても郷里を喰詰めて放浪を余儀なくされた者達が、生活をかけて仮面・覆面のわざを演じた。古代・中世を通じて異郷から来る神を畏敬し、かれの発する呪言や呪術に過分の信頼を払う信仰心がそなわっていたので、引け目を感じつつも、各地の村々を行脚し、仮面の演技を膨らませていった。
  • 平安朝から鎌倉南北朝時代にかけて
    社寺の祭礼・法会の神業仏業に任じ、諸国へも出掛けて、祝言・勧進・法楽などの名目のもとに宗教的な歌舞を演じた前代以来の乞食芸能者が大陸伝来の「散楽」や呪師芸を演じ、やがてそれから猿楽・田楽が生まれた。こうした芸能者は覆面まがいの無表情な仮面や真っ黒い化粧だけに執着せず、寄食する寺院で修正会が行われば竜天や鬼の仮面を被り悪魔払いの舞踏を演じた。また社の祭礼では祭神にちなんだ表情豊かな仮面をつくり神に扮して天下祝福の祈祷の神舞を演じた。
  • 仮面の地方伝播
    日本中の民衆が個々の村々で仮面をこしらえたのではなく、修験者が芸能を諸国へ運び、それを村々の民衆が習って土地の祭祀芸能として育てていった。
    青森 下北上北地方の能舞、南部地方の神楽
    岩手 早池峰神楽、平泉毛越寺・中尊寺の延年
    秋田 八幡平村小豆沢大日堂の祭堂
    山形 鳥海山麓の田楽・舞楽
    信・遠・三
    遠山祭、冬祭、西浦田楽、花祭
●翁と鬼


社寺に寄食し祭礼・法会の奉仕や邸宅祝福の歌舞をしていた唱門師階級の宗教芸能者が祭礼法会の成就を期する神の歌舞、仏・菩薩の歌舞を持ち、家々を訪問し予祝・祝賀の芸能として「翁」を持った。
黒式尉にはどこか覆面の感じで神業を演じた隱の仮面の雰囲気が残る。白式尉には黒式尉の境涯をある程度克服した末に獲得した洗練と優雅さが備わっている。隱の存在であった神の面が、自分たちの血の根元であり、生活基盤を支えてくれる存在を祖先に想定して、その姿を現世にある齢豊な老人に見立てた。黒から白への飛躍。


そして神の隱の印象は大陸伝来の鬼キと結び付いて鬼面が誕生する。

鬼の概念
日本 隠れたもの、醜いもの、強く猛々しいもの
中国 死人の魂、姿が見えず人に害を与える、人の形した想像上の生物、角が生え醜悪な顔
インド 祖霊、飢えて食物を欲しがる死者、害を与えるもの

除災型の鬼
日本で最初の鬼出現仏教行事
八世紀初め706年慶雲三年 疫病流行の為12月に「儺(疫病を持ってくる鬼を追い払う行事)」を行う(続日本紀)
十世紀に12月末恒例行事となる。「追儺」中国の行事をそのまま模擬し、方相氏《周礼(しゆらい)によれば方相氏(ほうそうし∥ほうしようし)と称する呪師が熊の皮をかぶり,四つの黄金の目玉のある面をつけ,黒衣に朱の裳(も)をつけ,手に戈(ほこ)と盾(たて)とをもって疫鬼を追い出した。また、天皇・親王・太政大臣の葬送のときに棺ひつぎを載せた車の先導をもした》が鬼を追う。当時疫鬼と呼ばれる疫病神は形象化しておらず、目に見えない存在であった。十二世紀には方相氏に代わって毘沙門天と龍天という仏法守護神が仮面を付けた鬼を追うさまを演ずるようになる。

来訪型の鬼
人々の前に出現し、人々の前で躍り、人々の家を訪れて回る。人々は鬼を待ち、恐れながら囃し、鬼をもてなす。
日本古来の年末の習俗。亡くなった人が12月末日には家に戻ってくる。その魂をまつる習わしがあった。この行事が都では廃れてしまい、地方に残存した行事と追儺で形象化された鬼のイメージが重なり来訪型の鬼が形作られた。

神のもつ霊魂の「和魂にぎみたま 円満充足した霊魂」と「荒魂あらみたま 安定せず荒々しく活動する霊魂」二つの信仰から翁面と鬼面がうまれた

一霊四魂
神や人には荒魂(あらみたま)・和魂(にぎみたま)・幸魂(さきみたま、さちみたま)・奇魂(くしみたま)の四つの魂があり、それら四魂を直霊(なおひ)という一つの霊がコントロールしているというものである。和魂は調和、荒魂は活動、奇魂は霊感、幸魂は幸福を担うとされる

勇 - 荒魂(あらみたま)
「勇」は荒魂の機能であり、前に進む力である。勇猛に前に進むだけではなく、耐え忍びコツコツとやっていく力でもある。行動力があり、外向的な人は荒魂が強い。

親 - 和魂(にぎみたま)
2つ目の魂の機能は和魂であり、親しみ交わるという力である。その機能は、1字で表現すれば「親」である。平和や調和を望み親和力の強い人は和魂が強い。

愛 - 幸魂(さきみたま、さちみたま)
3つ目の魂は幸魂であり、その機能は人を愛し育てる力である。これは、「愛」という1字で表される。思いやりや感情を大切にし、相互理解を計ろうとする人は幸魂が強い人である。

智 - 奇魂(くしみたま)
4つ目は奇魂であり、この機能は観察力、分析力、理解力などから構成される知性である。真理を求めて探究する人は、奇魂が強い。

四季・東西南北 八拍手

 

 

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