野村万蔵家を母体とする 「萬狂言」 関西代表 小笠原由祠 (能楽師 和泉流狂言方)のホームページです。
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文楽や歌舞伎でも有名な石川五右衛門は、釜茹での死の直前に、 「石川や浜の真砂は尽きるとも、世に盗人の種は尽きまじ」と、 悪は亡ばない事を言いましたが、 凶悪テロから強盗、暴力、耐震偽装、ホリエモン等、際限のない犯罪。 世の中の悪行は尽きる事を知りません。
さてこの、五右衛門が世間に知られているのは、 大名屋敷を荒らし廻り、太閤秀吉に対し大阪城に侵入し盗みを働き、 最期には三条川原で釜茹でになったと言う事でしょう。 天下の大泥棒でけちな小泥棒とは格が違います。
しかし、「五右衛門」という豪快な名前や、釜茹でという聞いた事もない最期など、 恐ろしいイメージより、むしろ人気アニメ「ルパン三世」の如く、 義賊的な思いを起こさせ、親近感を感じる方も多いのではないでしょうか。
一説によると、五右衛門は河内の国(大阪府)石川村の出身で、幼名を五郎吉。 十四歳の頃、父母が死に、放蕩で身を崩し、十七歳の時、住家を売って伊賀に行き、 名張で福寛という南蛮人に忍法の手ほどきを受けます。
十九歳の時、福寛の許を去り、忍者の親分・百地三太夫の家に奉公し、 名を石川文吾と改めるも、百地三太夫の後妻と不義密通をしてしまい、 揚句の果てには、三太夫の金子八十五両を盗み、後妻と伊勢に駆け落ちして頓てその女も捨ててしまいます。
その後、名を五右衛門と改め、京都・東山に住みつき、大勢のあぶれ者を子分にして、
本格的な盗人家業に入ります。
そして、とうとう天下人・秀吉の伏見城に忍び入り、秀吉の枕元にあった名器・千鳥の香炉を
盗もうとして捕らえられてしまうのです。
又一説にはその頃秀吉に疎んじられていた関白・秀次が、
どうせ殺されるなら先手を打てと、五右衛門に秀吉殺害を依頼したとも云われておりますが、
はたして真相は・・・どうぞお楽しみ下さい。
(狂言・落語・講談・文楽人形・和太鼓による
コラボレーション公演 『石川五右衛門』 より)