八幡の「藪知らず」が一般的に知られるようになったのは、江戸時代の末期頃のことです。 この頃に成立した「勝鹿図志手繰舟 [かつしかずしてぐりぶね] 」(文化10年・1813年)や「江戸名所図会 [えどめいしょずえ] 」(文政12年・1829年)などの地誌・紀行文には、「足を踏み入れると二度と出てこられなくなる」という内容の伝承が登場します。
なぜ、このような伝承が生まれたのか−−−その理由の一つとして考えられているのが、本来この地が葛飾八幡宮の放生池であったという説です。 元々立ち入りを禁じられていた池の跡が、将門をはじめとする貴人の伝承が加わることで神聖化され、「禁足地」となったのではないか、と考えられています。 そして、その後も新たに別の理由が付け加えられていった結果、以下の一覧のように様々な伝承が生じることになったのでしょう。