■水戸黄門

本名は徳川光圀。寛永5年(1628)生まれ。元禄13年(1700)没。 水戸藩の二代目藩主であり徳川家康の孫にあたる人物です。 ドラマでの悪を成敗する姿とは違い、実は光圀は、浅草で罪のない人を 斬り捨てるなど非行を繰り返していました。 本公演での光圀の「名君」ではない描写の背景は、ここにあります。
史記の伯夷電 [はくいでん] を読んで 改心したとされる光圀の功績の中で、 本公演と関わりがあるものは八幡改めです。 八幡宮が祀っている八幡神は八幡大菩薩ともよばれます。 この称号は菩薩が衆生を救うために八幡神に姿を変えたいとする 神仏習合 [しんぶつしゅうごう] の説に基づくものです。 光圀はこの本地垂迹説 [ほんちすいじゃくせつ] を嫌い、 八幡改めを行ったと言われています。 そんな光圀は元禄8年(1695)正月、 江戸からの帰り道に下総の諸寺へ立ち寄っています。 経路には現在の市川市にある中山法華経寺が含まれており、 葛飾八幡宮や藪知らずと地理的に近いため、水戸黄門伝承のもとになったと考えられます。

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