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コラム

「狂言」形成の時代背景と役割

和泉流狂言師 小笠原 匡

日本が世界に誇る芸術文化の一つであり、世界ユネスコ無形文化遺産として日本で最初に認定を受けた「狂言」は、650年間一度も途絶える事無く現在まで伝承されている世界に類を見ない演劇であるが、中世にはおよそ現在の形で成立していたと云われている。

ではいったい「狂言」はどのように形成されてきたのか。

そもそも中世(鎌倉・室町時代)とは、古代(飛鳥・奈良・平安時代)より脈脈と続いていた天皇や公家など貴族が中心となった律令制という支配体制が事実上崩壊し、それに代わり元々は貴族の下人であった武士が台頭を始めると云う、大きな社会変革の時代であった。

しかも本当の意味で武士中心の安定した政権である幕藩体制が確立するのは近世(江戸時代)の到来を待たねばならず、まだまだ力のあった皇族や公家と新興勢力である武家が、弱者である民衆を巻き込み、絶え間ない争いによる喧噪が繰り返えされていた。

その為人々は常に死と向かい合わねばならず、明日は無い我が身を嘆きながらも、前向きに今を大切に精一杯生きようという、今までとは異なった新しい仏教観や価値観が様々生まれてきた。

又一方では土一揆などで物情騒然たる中でも豪華な建物が造営され、戦乱にあえぎつつ茶道や花道など様々な文化が成立してくると云ったカオス的世の中でもあった。まさにこのような時代に生まれたのが「猿楽」の「狂言」と「能」なのである。

「猿楽」とは古代、仏教伝来と共に大陸より伝わった「散楽」という庶民的な曲芸が、日本古来の神楽などと接合して転化したもので、元々は滑稽な物真似芸であったが、このカオス的な上下の観客に対応する為に「狂言」と「能」という新たな二つの演劇形態を生みだし、それぞれに役割を分担し、表現する題材や情趣や世界観を分け合った。

先ず「能」は、本説である出典や典拠を重視し「源氏物語」や「平家物語」などを題材に貴族社会を描き、その演技も求心的、象徴的で重厚である。

一方「狂言」は、庶民的な当代社会の笑うべき断面を舞台化し、登場人物も下人階級を中心にして、当時絶えず繰り返されていた下剋上的事象の数々より世相風刺の笑いを生み出し、それを開放的、具象的に且つ軽妙に描いている。劇の構成や技法の様式はそっくりでも現実認識や仏教観などは全く異なるので、よく「狂言」と「能」は顔かたちがそっくりだが性格が異なる、双子の関係に例えられる。

では「狂言」がこの時代にどのような事を表現しようとしたのか。

中世、室町時代に「何せうぞ、くすんで。一期は夢よ、ただ狂へ」と歌われ流行した俗謡があるが、是が当時の「狂言」の精神を非常によく表している。これは「生真面目な人は、可笑しくてみちゃいられない。この世は夢よ、ただ狂え」と云った意味で、「狂言」はその乱世を生きる民衆の一途な姿を「笑い」に転化し浄化していったのだ。

古来より「笑い」は寿祝と相通じる性格を持ち、言語遊戯や面白おかしい身振りなどで人々を笑わす伝統的な滑稽技は存在していた。それが物真似芸である初期の「猿楽」であったが、「笑い」は社会構造や価値観の変化に左右されやすく、その為に寿命を長く保つ事が出来ない。特定の範囲だけに通じ、ある場面を笑う人もいれば、逆に不愉快になる人もいる。又「笑い」には意外性が必要で、繰り返す事により飽きられてしまう。それ故広い範囲の人々を笑わせ、且つ時代を乗り越えて維持するのは容易ではない。しかし「狂言」は見事にこの困難を克服した。その大きな要因の一つは、言葉遊びや滑稽な身振りだけでなく、ストーリーを持った事による。それは「狂言」が元々「能」と「能」の間で演じられる事が原則だった為、その演技形態を「能」から離れて自由に発展させる事が困難ではあったが、逆にその事が「能」の構成に基づきつつも、その題材や情趣、世界観をもどく、所謂パロディー的要素を備える事になったからである。それにより「狂言」と「能」という二つの芸能は一見相反するが、お互いがお互いに切り捨てている部分を補足する役割を持ち、結果として一面的でない広がり、二つで一つの世界観、一体性をも強めているのである。

また「狂言」の代表的な登場人物である太郎冠者は、小回りが利くが臆病で、酒に目が無くお人好し、底抜けに明るい、と云った非常に庶民的な人間像であり、是は特定の個性を持つ人間では無く、ある類型化された人物像として描かれている。それにより劇中の主人と太郎冠者の関係は、例えば上司と部下の雇用関係やまた親と子の上下関係など、何時の時代どんな場面にも様々に置換可能であり、その人間関係が織り成す笑いが普遍的要素を兼ね備えている。

やがて近世になり「狂言」は「能」とともに、武士の式楽として諸藩の大名に召抱えられる事により経済的不安も解消はされたが、その為に庶民性を失う事危機に立たされた。しかし庇護を受けたお陰で芸術性を高める事が可能になり、セリフに複合的意味を持たせ、所作や謡い・舞い・語り・を美しく表現する為極限まで洗練して様式化し、唯単に寿福を祝う祝言の笑いや、権力者を揶揄する風刺の笑い、さらには当代的な場当たりを狙った低俗・卑猥な笑いなど様々な笑いの形を超越し、観客の心を豊かにし、和み楽しませる明るい笑いである、和楽の世界を体現するに至った。

そしてこれが現在まで脈々と伝承されている「狂言」の劇形態であり、私自身、芸の最終到達点、目標でもある。

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