狂言師 小笠原匡

コラム

伝統の型と技と心

「狂言とは」

狂言は今からおよそ650年前に誕生した日本で最初の笑っていいお芝居「喜劇」です。

現代の漫才・コント・落語などのルーツにあたり、その笑いは非常に斬新かつ奇抜であり、 現代にも通用する程時代を超越しています。

しかし狂言とは漠然と能のようなもので敷居が高く難しいと考えている人が多いのも事実です。 実際に狂言は能と一括して《能楽》と呼ばれております。 何故《能楽》という総称が必要なのかと云うと、 能と狂言は「猿楽」という母体をともにしながら、 笑いを含まない重厚な歌舞劇である能と、滑稽な対話劇である狂言という、 性格が異なる双生児として誕生して、以後今日に至るまで二人三脚の道を歩んできたからなのです。

とかく庶民的な喜劇は観客に迎合し低俗に陥りがちですが、 狂言は能とともに品位・格調の高さを指向し続け、 2001年には国連教育科学文化機関(ユネスコ)により「人類の口承および無形遺産の傑作」 (通称・世界無形遺産)と宣言されました。

「狂言の笑い」

狂言が多くの人を引き付ける最大の理由はその滑稽性にあると思います。 しかし狂言の目指している笑いは痛烈な支配者層への風刺や性的描写などと結び付けた艶笑ではなく、 日常のほんの一コマで良くある、人間の中に誰しも持っているバイタリティーに裏付けされた野太い滑稽なのです。

《能楽》の大成者である世阿弥が、狂言とは 『和楽の世界』 であると言っています。 この和楽の世界を表現するための大切な要素が、 三種の神器ではありませんが「謡・舞・語り」の三つの技術なのです。
実は狂言も台本だけ読めば他愛もない「お笑い」に過ぎません。
しかし何故狂言の演技は格調が高いのかと云うと、笑いを取るためにあざとい演技などせず、 セリフや動作にゆるぎない安定感を与えている、様式美だと思います。

一見滑稽な笑劇から、真実味あふれた深い人間性が浮かび上がってくるのは演技の質の高さが大いに関係しているのです。
つまり芸術度の高い演技を可能にする役者の身体の土台づくりである「謡・舞・語り」に支えられているのです。

「型と技と心」

この三種の神器である「謡・舞・語り」は喜劇の写実性とは対極に位置する演技要素です。 しかし狂言にはこの様式性がその作品構成の中に非常にうまい具合に組み込まれており、写実と様式が大変仲良く共存しているのです。

先ず私たちは基本訓練としてこの「謡・舞・語り」を徹底的に身体に叩き込む修行を致します。 上手く説明出来ませんが具体的には声の調子を出したり抑えたり、 身体動作の抑制などであり、一言で云えば我慢する事を学ぶのです。
声の調子や動作を極端に抑制して、無駄な息づかいや所作を省いた型を身体に叩き込む事により、 緊張と開放をコントロールして自然と一つ一つの呼吸や動作、セリフ、歌に沢山の思いが込められる様になり、 逆に豊かな表現力が可能になるのです。

そして次なる段階として、この技術を習得した後に今度は写実的な演技を学び、 様式的写実演技を作り上げていきます。
規制の枠の中で演技を行う事により様式性を保ちながら、 写実的セリフや動作のリアリティーを表現していくのです。

これは型に技と心を注入して試行錯誤を重ねながら洗練されていく事なのだと考えております。 そしてその様式的写実は狂言師がそれぞれにオリジナルなものとして会得し、 一定の形として兼ね備えているのです。

今回は短い時間ですがこの様式的写実について実演を交えながら楽しく解説させて頂きます。 そして、ここ最近『笑い』は健康を維持するために良い薬であると言われているそのことを体感して頂けたら幸いと存じます。

(第十二回「日本糖尿病教育・看護学会」特別講演より)

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